絶望するのはもう終わり。発達障害の治し方

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どうも今日はあべしんです

 

本日は、発達障害は治る病気だという事について解説していきたいと思います。

 

まず最初に言っておくと、発達障碍者の持つ性質は、治るものではありません。

現状、発達障害は脳の発達の段階における異常とされています。しかし、現状ではその脳の異常の原因は全くわかっておりません。統計的に社会生活のしにくい人がいるという傾向が出ているだけです。そのため現在存在する治療方法は薬による対処療法や、カウンセリングなどの精神的なケアのみとされています。(脱線)ちなみに僕はそもそも脳の異常などではないとさえ思っています。参考動画→https://www.youtube.com/watch?v=Fq_HihllcCQ&t=11s

 

ではこの動画のタイトルである”治る”とはどういうことなのでしょうか。掘り下げていきましょう。

現在、計画性がない・忘れ物が多い・気が散りやすい・対人関係が苦手・などの社会生活が困難とされる特性が発達障害であると認知されています。しかし実は、こういった特徴に当てはまるだけでは発達障害になりません。

 

発達障碍者支援法 第一章第二条にはこう記載されています。

2   この法律において「発達障害者」とは、発達障害がある者であって発達障害及び社会的障壁により日常生活又は社会生活に制限を受けるものをいい、「発達障害児」とは、発達障害者のうち十八歳未満のものをいう。

 

つまり、発達障害は、本人が持っている特性によって、生活が制限されて困っている場合に初めて障害となります。この、生活が制限されて困るという感情を、”困り感”と呼びます。発達障害は”困り感”を抱いたときに初めて障害となります。逆を言えば、いくら忘れ物をしようとも、気が散りやすかろうと、本人が日常生活や社会生活に困っていなければ病気などではないのです。実際に、医師が発達障害を診断する際には、どれだけ日々の生活にこの”困り感”を抱いているかということが重要になってきます。

つまり、この”困り感”をなくすことができれば、発達障害は障害では無くなる、つまり治るという事になります。(正式な言い方は寛解ですが、まあ似たようなものです)

 

そもそも発達障害は誤訳だった

 そもそもの問題として、発達障害は誤訳によって生まれた言葉です。発達障害は海外から入ってきた言葉なので、伝わってくる際に意味が少し変わってしまいました。英語で発達障害の障害にはdisorderが使われます。そして、身体障害などの障害はdisabilityやhandicapという単語が使われます。もちろん使い方も異なっていて、disorderは体の不調や治る病気なども指す言葉ですが、disabilityやhandicapはハッキリとその能力が無いという事を示します。

小さい頃の一部の発達障害の診断は、大人になれば訓練や慣れによって落ち着くというデータがあります。大人になるにつれて、先ほどの”困り感”への対処を身に着けていくからです。そのため不調などの回復するニュアンスを残すためにdisorderを英語では使っています。しかし、日本語での「発達障害」にそのようなイメージを持つ人はほとんどいないでしょう。発達障害も身体障害もどちらも同じように「障害」と扱われます。

ちなみに、現在ではdisorderを「障害」という訳ではなく、「症」という訳語をつけようという流れも存在します。

 

発達障害は環境が産んでいる

 

発達障害という言葉が広まったおかげで、障害と呼ばねばならないほど生きにくい人たちがいるという事が徐々に広まってきています。しかし、発達障害と呼ばれる特性を障害というデメリットだけではなく、個性としてプラスにとらえられている人はどれだけいるでしょうか。有名な方に、スティーブ・ジョブズという人がいます。彼の自伝は、一時期ベストセラーになったほど有名ですよね。彼の自伝を読めば、彼のメチャクチャさがよくわかると思います(無意味だと思って大学を中退した、フルーツだけで癌を治そうとした等)。一方で彼はiPhoneを生み出したという偉業を成し遂げています。この特性は、まさに型にはまらない才能でしょう。ですが、現代社会の枠組みで彼を分類しようとすれば、間違いなく発達障害という事になると思います。

もしあなたが会社の経営者だとします。もし彼を発達障害と認識していたら、彼を雇う場合障碍者雇用の枠で雇う事でしょう。しかし、彼の特性を発達障害では無くiPhoneを生み出せるほど破天荒なだけと知っていたとしたら。障碍者雇用などというポストではなく、企画開発部などに高給で雇う事でしょう。そして、決して規律に厳しい事務職などには就かせないでしょう。もしスティーブ・ジョブズを事務職で雇っていれば、会社側も数字はめちゃくちゃになるし、ジョブズも煩雑なルールに苦しめられ”困り感”を抱くはずです。発達障害は、こうした人事のミスマッチのようなものだと考えています。

 

 

まとめ

発達障害は、”困り感”がもたらすものだと紹介しました。もし自分の事(もしくは身近な人)をよく知っていて、自分らしい環境に身を置いていたら困り感は抱かないと思います。そのためには、まずはお互いがどんな人であると知る必要がありますし、どのような特性が”障害”と呼ばれてしまうのかという事を知る必要があります。そうした努力を重ねていけば、”困り感”を排除して発達障害とは呼ばれないあなたが出来上がると思います。僕のチャンネルでは、そういった自己理解のお手伝いとなるような動画を投稿していきますので、ぜひチャンネル登録よろしくお願いします!

加藤純一の"障害者マインクラフト"に習う障害の在り方

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加藤純一の"障害者マインクラフト"から学ぶ障害の在り方#加藤純一#マインクラフト

 

どうも今日はあべしんです

 

今日の動画はズバリ、加藤純一さんの視聴者マイクラについて取り上げていきたいと思います。

知らない方についての説明

 

まずは加藤純一さんについて

・普段はYoutubeにてjun channelという名義でゲーム実況などの生配信活動。

・軽快なトークや、奇想天外な発想力が大人気。独創的な企画も好評。(年に一度、視聴者から作品を募る「加藤純一美術館」、難病を患っている人限定お悩み相談、など)

・8月26日現在、63.5万人のチャンネル登録者数。(そのほか、Twitchやニコニコ生放送でもトップクラスの集客力を誇っています)

 

その加藤純一さんが立ち上げた伝説級の企画があります。

それが…

 

“障害者マインクラフト”

 

皆さんマインクラフトはご存じでしょうか。詳しい説明は省きますが、とても大人数で遊ぶことのできる冒険ゲームです。

“障害者マインクラフト”では、何かしらの障害を持った方を大勢集めて、マルチプレイでマインクラフトのラスボス(エンダードラゴンと言います)を倒しに行く!という内容です。

 

実際に、ニコニコ生放送内で視聴者から参加者を募り、障害を抱えている方を含めた23名が集まりました。(実は僕も参加者でした)

 

内容だけ聞くと、現代のコンプライアンス云々どころじゃない大騒動を起こしそうな企画ですよね。

 

しかし、タイトルとは裏腹にその中身は現代社会が忘れてしまった何かを思い出させてくれるものでした。

 

 

加藤純一の障害者マイクラが描いた真の平等

 よくこの手のコンテンツには決まったやり方が存在します。障害者にとっては難しいが、健常者にとっては普通である事を課題設定にする(登山や水泳など)。そして、それを達成するための努力の過程を映し、完成すれば「よかったね」。障害者”なのに”健常者と同じことができた。それにみんな感動する。といった手法です。(まんま2〇時間テレビ)

 一応、この手法が出現し始めた時期は、”障害者”という存在の認知度が低かった。そのため、社会にはこんな生きづらさを抱える人がいるということを広めたという点においては評価すべきでしょう。(現代の“発達障害”という語の流行も、同じ流れだったりします)しかしながら、こうした手法は、障害者”なのに”といった視点を持つことが必要不可欠であり、同情や気遣いの裏にある見下しがどうしても見え隠れしてしまいます。そのため、こうした手法は偽善的だとしてたびたび批判されています。しかし、障害者という題材を扱う以上こうならざるを得ないのではないか…といろんな人が思っているのではないでしょうか。

 

そんな固定概念を破壊していったのが”障害者マイクラ”でした

 加藤さんの放送は、基本的に加藤さんのその時の気持ちを最優先にして進行していきます。通常の放送であれば、ゲーム内で何か面白そうなものがあればシナリオを無視して探しに行きますし、今回のマインクラフトでも、自分よりゲームが下手な人を募集すると言いつつ、面白そうだからという理由で途中から障碍者の募集に変わったり、また他に面白そうな人がいれば、それまでの流れなどお構いなしで採用したりします。一見何の秩序もなく人を集めているように見えますが、すべての人に対して加藤さんが「面白そうだと思った」という共通点があります。つまり、加藤さんが面白そうだと思えば、障害者だろうが健常者だろうが頭がよかろうが関係ないのです。

 

 障害者は必要に応じて社会的支援を受けています。自分も、発達障害グレーゾーンのほかに精神障害を持っていたこともあり、保険適応で治療を受けました。しかしながら、与えられるという行為は、行き過ぎると時にその人の自尊心を踏みにじります。他の人の負担にしかならない場合があるからです。障害者として下に見られ続け、自分は一生一人の人間として自立することができないのか…と絶望する事さえあります。よく、何かの支援の世界では、受ける側の自立もセットで考えるべきだと言われています。僕のチャンネルのテーマである発達障害も、同じことが言えるのではないでしょうか。

 

 加藤さんは、「面白いから好き」という純粋な動機のみでゲームをプレイし、それを積極的に視聴者にアピールします。すると視聴者も、「好き」や「嫌い」といった純粋な自分の気持ちを元に視聴を楽しみ始めます。純粋な気持ちの前では、障害だなんだというややこしい話はどこかに行ってしまいます。そのため、普段は疎ましい障害も、放送の中では非日常的な楽しい出来事に早変わり。むしろ、障害が重ければ重いほど個性的で面白いということになります。代表的な例を挙げれば、色盲の方が「シキモン」という愛称で親しまれ、ゲーム内の何でもないような場所で色がわからずに躓いていることがあっても、「かわいい」と受け入れられていました。(ちなみにこうした自分の気持ちを重視する価値観を前に紹介したユング心理学では内向感情と言います)

 

 

 純粋な気持ちでマインクラフトを遊んでいるだけでも、自分の特性によって笑顔になる人がいる。当事者たちには、この上ない希望で、とても胸がわくわくするものです。もちろん僕も終わった後にすごく晴れやかな気持ちになりました。放送後のコメント欄でも、「自分は当選した訳では無いですが、はじめて障害手帳を持ってて良かったと思える配信でした」というコメントも来ていたくらいです。もしやこれこそが、真の平等や人の温かみなのではないか、と感じた瞬間でした。

 

 同情や哀れみといった感情も、時には必要です。しかし、それを超えたフラットな目線で物事を図ることで見えてくる世界もあるということを教えてもらった配信でした。

気にしすぎなくてもいい。お医者さんも悩む"発達障害"のあやふやさ

 

此方の動画の中身になります


”発達障害”実はあやふや?

 

どうもこんにちはあべしんです。

前回の動画である【ADHD発達障害はウソだった

という動画の続きになります

 

 

まずは初めて見た方のためにサクっと流れを説明します。

・最近流行りの発達障害、実際自分も疑っていた

・病院に行っても、なんか診断が曖昧だなぁ

・性格傾向の勉強をしていたら、「あれ、これって発達障害っている特徴と同じ」

・ネットで調べてみると、診断されたわけでもない自称発達障害がたくさんいる(多すぎ)

 

→なんか、おかしくないか?

 

という経緯があります

 

今回は、

 

そもそもの”発達障害”という言葉自体、かなりあやふやだった。

 

という現象について解説していきます。

 

  1. そもそも診断基準がおかしい

前回の動画では、DSMという診断基準によって発達障害の診断が行われているという紹介を行いました。実はこのDSMをめぐって、いろいろな問題が起こっていました。

 

  • 実は書いた人がキレている

DSM-4を作成した制作委員会の委員長である精神科医アレン・フランセス先生という方がいます。実は、この先生はDSM-5への改訂の際に『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』という本を出版されています。前に、DSM-5は基準が変化しているとお伝えしました。実は、この改定には製薬会社などの利害関係が絡んでおり、患者を増やす方向への改訂が行われていたのでした。これにフランセス先生は激怒。関係者はまるで昔の根拠のない呪術で不当に利益を得ていた呪詛師のようであるとまでキレ散らかしています。

 

  • 実はあんまり科学的根拠がない

実は、DSMはもともと統計調査のために設立されたという一面がありました。そのため、総計的には傾向が認められていても、科学的根拠に基づいたものではないこともあります。ニューヨークタイムスにも、先ほどのフランセス先生のDSMを批判する投稿が載せられています。→読めます!(https://www.nytimes.com/2012/05/12/opinion/break-up-the-psychiatric-monopoly.html?_r=3& 意見| 精神的独占を破る-ニューヨークタイムズ)

 

 

  • 診断自体があやふやになりやすい性質がある。

そもそも、発達障害の診断方法として、DSM-5を基にしたチェックシートや心理検査などを行い最終的に医師が判断するという形式をとられます。普通、他の病気などであれば腫瘍などをレントゲンで撮影し、はっきりと目に見える形でその病状を見ることができます。しかし、精神や発達の問題である発達障害はそれが出来ません。そのため、現状ではこういった方式をとらざるを得ません。人間が最終決断を下す以上、偏りや誤りが出て当然です。

 

※医師の名誉のために言っておくと、大多数のお医者様はこうした事実を理解し、診断は慎重に行おうと努力なさっています

 

 

しかし、件のDSMの件や、どんどんと概念が曖昧になる発達障害を巡る問題が起きているのもまた事実なのです

 

  1. 日本でもあやふやなまま広まりまくっている

 

実は日本においても、めちゃめちゃあやふやな広まり方をしています。10人に1人がADHD発達障害児が急増しているワケ(https://gentosha-go.com/articles/-/19749#:~:text=%E6%96%87%E9%83%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9C%81%E3%81%8C2012,%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 幻冬舎ゴールドオンライン )

 

こうしたニュース記事を見かけ、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。実際に、日本に発達障害という概念が広まった大きな原因の一つだと思われます。しかしながら、これも妥当な数字かどうかは怪しい部分があります。この数字の出所は文部科学省が行った「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1328729.htm)という調査報告書になります。この調査は、全国の小中学生を対象にチェックシート形式での調査を行い、学級担任と教務主任等の複数の教員で判断し、結果を報告するというものでした。

 実際の医療現場ですら泣く泣く医師の判断を仰ぐという形式をとっています。しかもそれでも誤りは起きている。今回の調査はなんと医療従事者ですらない学校の先生による判断によって結果が計上されています。しかも問題はこれだけではなく、そのチェックシートの中身を一部紹介しますが、

 

・聞き間違いがある(「知った」を「行った」と聞き違える)

・聞きもらしがある

・読みにくい字を書く(字の形や大きさが整っていない。まっすぐに書けない)

・気が散りやすい。

・大人びている。ませている

 

といったようなかなり判断の難しい、しかも割と普通の事では・・・?といった内容の物でした。実際に、この調査にあたって「内容が恣意的すぎる」と言って反発する学校もあったようです。

こうした数字から、10人に1人は発達障害という情報が大々的に報道され、現代に広まったとされています。(先ほどの批判記事から見て、当時の海外の精神医学業界からしてこのような雰囲気であった。文科省はきちんとそれを真面目に汲んでしまった結果だと思われます。)

 

といったように、なかなか疑わしい内容となっていました。こんなあやふやな言葉に人生を振り回されてよいのでしょうか?

 

発達障害と診断されることは、その人の人生を大きく左右することです。もちろん、必要に駆られて深刻に事態を受け止めている方もいると思います。しかし、大人の発達障害や、グレーゾーンといった少し曖昧な方たちまで発達障害という言葉を使うことに意味はあるのでしょうか。

診断を受けて投薬治療などを行っても、対処療法でしかなく原因の解決になっていない場合も多々あります。

もっと、違うとらえ方をしても良いのではないでしょうか。

 

言葉があやふやならば、使われ方もあやふやに…

ということで次回は、発達障害という言葉の曖昧さが産んだ偏見が起こす問題についての動画を挙げられればと思います。

もう障害者と呼ばせない。発達障害の"正体"

此方の動画の中身になります

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どうもこんにちはあべしんです

前回の動画で取り上げたユング心理学”タイプ論”について紹介します

 

前回の動画でも軽く話しましたが、ADHD発達障害と呼ばれている特徴は実は単なる性格の問題の可能性があります。

 

インターネットでADHD 診断で検索すると大体出てくるのは

 

・計画性のなさ

・そわそわしてしまう

・衝動的である

・忘れ物をしてしまう

 

といった内容に当てはまるかどうかといった内容を問うものが多いです(余計な争いを生まないために具体的なサイト名は伏せます。気になる方は検索してみてください)

 

しかしながらよく考えてほしいのが、たったこれだけのことで本当に障害者と呼ばれるべきなのでしょうか。

 

サイトによっては、項目がたった6項目しかないサイトもあります。

しかも、セルフチェックシートなどによって専門知識がなくても気軽に自己診断を下せるようになっています。

人や自分を”障害者”と呼ぶには、あまりにもハードルが低すぎないでしょうか。

 

僕の紹介したい概念に、ユング心理学、タイプ論という概念があります。

これは、人の生まれ持った性格の中から、共通している要素を抽出してそのタイプを分けようという理論です。

 

実は、先ほどの挙げた発達障害と呼ばれる特性は全て、このタイプ論に存在する性質だったりします。

これは、今発達障害と呼ばれる特性が単なる性格の問題であるという事の証明になると僕は考えています。

 

それでは、ユング心理学、タイプ論の紹介をさせていただきます。

 

まずは一般的な説明から。

 

タイプ論とはC.G.ユングによって提唱された理論です。

 タイプとは一群の人々や、性格の多くの人々に共通する性格を特徴的に再現する類例あるいは範型です。

 ユングは人間の性格傾向を見るにあたり、2つの意識的態度と、4つの心理的機能を提唱しました。

 2つの意識的態度には「外向」「内向」があります。

 4つの心理的機能には「思考」「感情」「感覚」「直感」があります。

(タイプ論 (Psychological Types)|臨床心理学用語事典http://rinnsyou.com/archives/319

8月13日アクセス)

 

これは単なる辞書的な説明なので、自分なりの言葉に落とし込んで解説したいと思います。

普通に生きていくうえで、いろんな性格があると思います。例えば、人見知り、おしゃべり好き、マイペース、世話好き、などなど。最近の言葉でいえば、陰キャラや陽キャラという概念もあります。

 

こうした様々な性格には、ある一定のパターンが存在することに気がついた人がいます。それが、C.G.ユングという方です。

 

ユングは、こうした人の性格のパターンを、2つの意識的態度と4つの心理的機能に分けました。

2つの意識的態度には「外向」「内向」があります。

4つの心理的機能には「思考」「感情」「感覚」「直感」があります。

 

急に難しい言葉が出てきたので、こちらもかみ砕きます。

まずは2つの意識的態度 「外向」と「内向」

意識的態度とは、心のエネルギーが向かう方向を指します。

文字通り、外向は外向きに心のエネルギーが発散されており、

内向は内向きに心のエネルギーが収束しています。

要は、自分の内面に興味があるか、それとも外の世界に興味があるかという話です。

現代の言葉遣いにそのまま例えると、「陰キャラ」「陽キャラ」というたとえがふさわしいでしょう。

陰キャラは、人付き合いを避け一人の時間が好きです。それに対し陽キャラは、人付き合いをこのみ、いろいろな人との関りを持とうとします。

誰しも一度は、「よくあんなに人とずっとしゃべっていられるな」とか、逆に「よくあんなに一人で黙々と作業がしていられるな」とか思ったことがあるはずです。「外向」と「内向」という性質は、まさにそういった違いを表しています。

 

次に、心理的機能です。

心理的機能は、「思考」「感情」「感覚」「直感」の四つが存在します。

先ほどの「外向」と「内向」は、それぞれが対になる2つの概念でした。心理的機能も、「思考」と「感情」、「直観」と「感覚」でそれぞれ分かれます。

 

「思考」と「感情」

「思考」と「感情」の事を、合理的機能と呼びます。人によって、「思考」を合理的にとらえるのか、「感情」を合理的にとらえるのかという違いが生まれます。よく、論理的思考能力という言葉があると思いますが、これは「思考」がもたらす力です。いったん人の気持ちなどを置いておいて、「正しさ」を求めようとする機能です。逆に、「感情」タイプの人は、論理的思考のようなドライな思考が苦手で、それよりも人や自分の気持ちや感性を重視します。

 

日本において、よく「日本人は議論が苦手だ」という言い方をすると思います。これは、日本において重視されているのが「感情」機能だからです。議論という行為は、多少お互いを否定し合っても、論理的に正しいことを求めるという行為です。相手への思いやりや、気持ちを重視する日本人にとって、相手を否定するというのは合理的な行為ではないのです。

 

 

「感覚」「直感」

「感覚」「直感」はそれぞれ非合理的機能と呼びます。外の世界で起こっていることを認識するときに、何を重視しているかということです。感覚は、生理的刺激を感じる機能の事です。自分の体を使って体験したことや、知覚したことを重視します。何かをする時に、実際にあったことや、データを基にしっかりと考えようとする人は感覚タイプでしょう。

それに対し直観は、本能的に物事を知覚します。物事そのものというよりは、その裏にある可能性に目が行ってしまいます。第六感という言い方があります。よく、他の人には思いつかないようなことをする人を「天才肌」などと言ったりしますが、そういったものは大抵直観によってもたらされています。感覚優位の人は良くわからない話だと思うので補足します。すごく危険な状況の時などに、だれもが身の毛がよだつような少し先の未来の予感がすると思います。それが比較的日常でも働く人たちが直観タイプです。

 

まずは、「外向」か「内向」か

そして、「思考」か「感情」かということと、

「感覚」か「直観」の違いがあるのかという事です。

 

それぞれの機能の重視の仕方によって、人の性格というものが決まってきます。

 

心理的機能の順番

 

心理的機能が、2つずつ対になっているという話をしました。

しかし、最初の大きいな分類は、4つの心理的機能という分類のされ方をしていました。

これは、きちんとした理由があります。

 

「思考」か「感情」が先にくるのか、

「感覚」か「直観」が先にくるのかという違いがあるからです。

図にするとこうなります。

 

今はよくわからないかもしれないですが、次の話がその説明になると思います。

 

実際にタイプ分けしてみよう

 

これまでの説明をまとめて、実際にタイプ分けをします。

例えば、僕の場合だと、意識的態度として「内向」、次に「思考」と「直観」を持っています。先ほど話した心理的機能の順番としては、「思考」の方を優先しているため、順番はそのまま「思考」→「直観」の順となります。

 

これをわかりやすく表すと、

内向思考・直観 タイプとなります。

 

もちろん、他にも組み合わせの順として

合理機能優位

内向思考・感覚

外向感情・直観 など

 

非合理機能優位

内向感覚・感情

外向直観・思考 など

こうしたタイプに分けられます。

 

補助機能

 

次は、補助機能という概念の話をします。

先ほどは、「外向」「内向」が対になっていると話しました。

しかしこれは対になっていると言っても 100:0で分かれているということではありません。

70:30くらいで分かれています。

もし、100:0で分かれていたら、外向の場合外界の刺激全てに反応する化け物になってしましますし

内向が0:100だったら外から何をやっているか全く見えない石のような存在になってしまいます。

これは、心理的機能についても同じです。心理的機能の場合は、合理機能と非合理機能が7:3くらいで補い合うことになります。

 

そのため、例えば、

外向直観タイプであった場合、補助機能は内向感情か、内向思考ということになります。

表記は

外向直観・(内向)思考 ということになります。

 

 

発達障害とタイプ論の関連

 

ここからようやく本題に入ります。

 

タイプ論の中に存在する、

 

“外向直観”という特性は、実は日本でADHDと呼ばれる人たちの特徴と酷似しています。

表記にすると、以下の4タイプ

外向直観・感情 外向直観・思考

内向思考・(外向)直観 内向感情・(外向)直観

 

 

 

 

では、さっそく外向直観について辞書で引いてみます。

 

外向的直感型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。

 良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。

 この直感が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。結局は彼のあとにきたひとがこの成果を得ることになってしまって、直感型のひとは、他人を富ますことに力を傾けながら、自分はいつも貧困に苦しまなければなりません。

 このような傾向が強くなると、抑圧されていた感覚機能が制御を破って現れます。これは荒唐無稽な点で感覚型の人が陥りやすい状態に似ています、感覚型の人が、何か宗教的・神秘的なものにとらわれるのに反して、この型の人は、現実的な物事にとらわれます。

 

(外向的直感型 (extraverted intuition)|臨床心理学用語事典http://rinnsyou.com/archives/345 )8/20アクセス

 

 

早速要約のコーナー

外向的直感型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。

 

一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。

 

いろんな可能性に対してセンサーがビンビンに常に働いている人。その代わり、興味の対象がいろいろなものに移り変わってしまいます。すべての人種の中で、最も想像力のある人たちかもしれません。

 

いろいろな新しい物を生み出してきたのはこの人種に寄るものが大きいと考えています。例えば、ITやAIといった誰も見たことのない新しい産業だったり、既存の物の中でも、新しい手法などを発明したりします。

 

 

しかしこれが引き起こすのが・・・

・計画性のなさ → いろいろな可能性が気になって一つに絞れない

・そわそわしてしまう 

・衝動的である

・忘れ物をしてしまう → 手に持っている鍵や財布の事さえも置き去りにして、いろんなことを頭で考えます。

これが、今回の動画で僕が伝えたい一番の話です。

納得していただける方も多いのではないでしょうか。

 

おまけ的次回予告

タイプ論事態は古い概念ですが、現代になりこれをもっと視覚的にわかりやすくしようという働きが生まれました。

 

MBTI

という概念です。

 

詳しい話はまた次回に行いますが、

内向思考・(外向)直観 → INTP

外向直観・感情 → ENFP といったように、かなりすっきり表せたりします。

 

ユングは得意なことを主に取り上げていましたが、苦手なことや、適正診断などにも使われていたりします。

これもまた動画にさせていただきます。

それではまた。

考え方が変わります。"発達障害"の嘘

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此方の動画の内容を、文字起こししたものになります。

 

ADHD】最近さぁ、自称発達障害多すぎない?

 

 

どうも、あべしんです。

今回は、自称発達障害多すぎない?っているタイトルでやらせていただきます。

 

実は最近なんとなく、発達障害という言葉が独り歩きしている印象があります。

インターネットでADHDと検索しても、診断を受けたわけではないがなんとなくそうかも…みたいな人が多くいます。

インターネットでも、計画性がない、そわそわしてしまう、衝動的になる、忘れ物をしてしまうなどの特徴から自分を発達障害と疑う人が後を絶ちません。

実はこんな書籍も出現してきています。

発達障害関連本画像

 

その原因について考察してみましょう。

 

まず、第一に、そもそも発達障害とは何なのかというお話をさせていただきます。

 

発達障害とは→DSM-V

 

アメリカの精神医学会が定める診断基準。

 

この基準を満たすと医師が判断した場合に初めて発達障害となる。

 

しかし…

 

実はこの診断基準、コロコロ変化してきた歴史がある。

>今回のDMSの改訂によっていくつかの変更が行われましたが、DSM-IVでは、小児自閉症アスペルガー障害などのサブカテゴリーを含む「広汎性発達障害」とよばれていたものが、DSM-5では「自閉症スペクトラム障害」というひとつの診断名に統合されました。DSM-IVのサブカテゴリーの中でも、「レット障害」はX染色体の異常(MeCP2異常)であることがわかり、自閉症と関連がないために診断から除外されました。また、小児期崩壊性障害(*1)は区別することの重要性が低いと判断されたため統合されています。サブカテゴリーとして有名なDSM-IVアスペルガー障害の有病率は0.084%であり(Chakrabarti et al. 2001)、DSMでのアスペルガー障害は極めて稀な障害として位置づけられていることからサブカテゴリーから除外されましたが、社会性(語用論的)コミュニケーション障害やADHDなどが加えられました。

 

(DSMⅣからDSM5への改訂で発達障害が神経発達障害と総称されます。|メルケアみなとセンターhttps://www.melcare.jp/%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%A8%E3%81%AF-1/)

 

ざっくりと要約すると

DSMという基準は1~5にかけて徐々に変化してきたものである。

例えば、ネットスラングでよく知られる「アスペ」という病気は実は非常に稀な物であり(発症率0.084%)発達障害のサブカテゴリ―から除外されていたり、ADHDという概念が後から加えられたりしている。

 

実は精神医学会においても比較的日の浅い概念である。

 

そもそも…精神疾患は目に見えないもの。「うつ病は甘え」なんていう言葉を聞いたことがある人がいるかもしれません。

 

障害という概念 身体障碍者のように、重度に社会生活がしにくいわけではない。そして、他の障害のように手術や重い副作用の薬を飲んだりしているわけではない。

本当に障害と呼ぶべきなのか。少なくとも、病院に行く必要がない中で疑っている人は本当に発達障害なのか。

 

しかし…自分の持ってる特性のせいで社会適応が難くなっている人もいる。「大人の発達障害」という語も流行しつつある。特に、精神的に弱っているときには「障害」というレッテルが自分の心の重荷を下ろすこともある。

 

 

あべしんからの新提案。障害という言葉以外で自分を形容してみてはどうだろうか。特に、発達障害を少し疑っているグレーゾーンの方には刺さるはず。

 

実は、計画性がない、そわそわしてしまう、衝動的になる、忘れ物をしてしまうなどの特徴は、発達障害という言葉以外でも言い表すことができます。

ユング心理学 “タイプ論”

ここで取り上げたいのが、ユング心理学のタイプ論という概念です。

 

タイプ論とは

タイプ論とはC.G.ユングによって提唱された理論です。

 タイプとは一群の人々や、性格の多くの人々に共通する性格を特徴的に再現する類例あるいは範型です。

 ユングは人間の性格傾向を見るにあたり、2つの意識的態度と、4つの心理的機能を提唱しました。

 2つの意識的態度には「外向」「内向」があります。

 4つの心理的機能には「思考」「感情」「感覚」「直感」があります。

(タイプ論 (Psychological Types)|臨床心理学用語事典http://rinnsyou.com/archives/319

8月13日アクセス)

 

これもざっくり説明すると

人見知り、コミュ力お化け、現実派、理想派、方向音痴、などなどそういった人の特性は全てその人の持つ心理機能の組み合わせによるものであるとする概念です。

 

実は…

発達障害とされている計画性がない、そわそわしてしまう、衝動的になる、忘れ物をしてしまうなどの特徴は全て、このユング心理学のタイプ論によって説明できてしまいます。

 

補足

この話もっと掘り下げたかったですが内容が多すぎるので別の動画にします!

みてね!

 

つまり

発達障害と思われている特徴は、実はその人の単なる特性の一部です。

 

それを障害と呼んでよいのか?

本当に”治すべきもの”なのかということをよく考えるべきだと思います。