加藤純一の"障害者マインクラフト"に習う障害の在り方

此方の動画の中身になります。


加藤純一の"障害者マインクラフト"から学ぶ障害の在り方#加藤純一#マインクラフト

 

どうも今日はあべしんです

 

今日の動画はズバリ、加藤純一さんの視聴者マイクラについて取り上げていきたいと思います。

知らない方についての説明

 

まずは加藤純一さんについて

・普段はYoutubeにてjun channelという名義でゲーム実況などの生配信活動。

・軽快なトークや、奇想天外な発想力が大人気。独創的な企画も好評。(年に一度、視聴者から作品を募る「加藤純一美術館」、難病を患っている人限定お悩み相談、など)

・8月26日現在、63.5万人のチャンネル登録者数。(そのほか、Twitchやニコニコ生放送でもトップクラスの集客力を誇っています)

 

その加藤純一さんが立ち上げた伝説級の企画があります。

それが…

 

“障害者マインクラフト”

 

皆さんマインクラフトはご存じでしょうか。詳しい説明は省きますが、とても大人数で遊ぶことのできる冒険ゲームです。

“障害者マインクラフト”では、何かしらの障害を持った方を大勢集めて、マルチプレイでマインクラフトのラスボス(エンダードラゴンと言います)を倒しに行く!という内容です。

 

実際に、ニコニコ生放送内で視聴者から参加者を募り、障害を抱えている方を含めた23名が集まりました。(実は僕も参加者でした)

 

内容だけ聞くと、現代のコンプライアンス云々どころじゃない大騒動を起こしそうな企画ですよね。

 

しかし、タイトルとは裏腹にその中身は現代社会が忘れてしまった何かを思い出させてくれるものでした。

 

 

加藤純一の障害者マイクラが描いた真の平等

 よくこの手のコンテンツには決まったやり方が存在します。障害者にとっては難しいが、健常者にとっては普通である事を課題設定にする(登山や水泳など)。そして、それを達成するための努力の過程を映し、完成すれば「よかったね」。障害者”なのに”健常者と同じことができた。それにみんな感動する。といった手法です。(まんま2〇時間テレビ)

 一応、この手法が出現し始めた時期は、”障害者”という存在の認知度が低かった。そのため、社会にはこんな生きづらさを抱える人がいるということを広めたという点においては評価すべきでしょう。(現代の“発達障害”という語の流行も、同じ流れだったりします)しかしながら、こうした手法は、障害者”なのに”といった視点を持つことが必要不可欠であり、同情や気遣いの裏にある見下しがどうしても見え隠れしてしまいます。そのため、こうした手法は偽善的だとしてたびたび批判されています。しかし、障害者という題材を扱う以上こうならざるを得ないのではないか…といろんな人が思っているのではないでしょうか。

 

そんな固定概念を破壊していったのが”障害者マイクラ”でした

 加藤さんの放送は、基本的に加藤さんのその時の気持ちを最優先にして進行していきます。通常の放送であれば、ゲーム内で何か面白そうなものがあればシナリオを無視して探しに行きますし、今回のマインクラフトでも、自分よりゲームが下手な人を募集すると言いつつ、面白そうだからという理由で途中から障碍者の募集に変わったり、また他に面白そうな人がいれば、それまでの流れなどお構いなしで採用したりします。一見何の秩序もなく人を集めているように見えますが、すべての人に対して加藤さんが「面白そうだと思った」という共通点があります。つまり、加藤さんが面白そうだと思えば、障害者だろうが健常者だろうが頭がよかろうが関係ないのです。

 

 障害者は必要に応じて社会的支援を受けています。自分も、発達障害グレーゾーンのほかに精神障害を持っていたこともあり、保険適応で治療を受けました。しかしながら、与えられるという行為は、行き過ぎると時にその人の自尊心を踏みにじります。他の人の負担にしかならない場合があるからです。障害者として下に見られ続け、自分は一生一人の人間として自立することができないのか…と絶望する事さえあります。よく、何かの支援の世界では、受ける側の自立もセットで考えるべきだと言われています。僕のチャンネルのテーマである発達障害も、同じことが言えるのではないでしょうか。

 

 加藤さんは、「面白いから好き」という純粋な動機のみでゲームをプレイし、それを積極的に視聴者にアピールします。すると視聴者も、「好き」や「嫌い」といった純粋な自分の気持ちを元に視聴を楽しみ始めます。純粋な気持ちの前では、障害だなんだというややこしい話はどこかに行ってしまいます。そのため、普段は疎ましい障害も、放送の中では非日常的な楽しい出来事に早変わり。むしろ、障害が重ければ重いほど個性的で面白いということになります。代表的な例を挙げれば、色盲の方が「シキモン」という愛称で親しまれ、ゲーム内の何でもないような場所で色がわからずに躓いていることがあっても、「かわいい」と受け入れられていました。(ちなみにこうした自分の気持ちを重視する価値観を前に紹介したユング心理学では内向感情と言います)

 

 

 純粋な気持ちでマインクラフトを遊んでいるだけでも、自分の特性によって笑顔になる人がいる。当事者たちには、この上ない希望で、とても胸がわくわくするものです。もちろん僕も終わった後にすごく晴れやかな気持ちになりました。放送後のコメント欄でも、「自分は当選した訳では無いですが、はじめて障害手帳を持ってて良かったと思える配信でした」というコメントも来ていたくらいです。もしやこれこそが、真の平等や人の温かみなのではないか、と感じた瞬間でした。

 

 同情や哀れみといった感情も、時には必要です。しかし、それを超えたフラットな目線で物事を図ることで見えてくる世界もあるということを教えてもらった配信でした。